一平さんは、たった一人で四十年も自転車屋を続けています。
お店は、ちいさな漁村の表通りにありました。
  一平さんのつくる自転車は、この町では評判で乗りやすく、がんじょうな自転車でした。
それは、一台一台大切に心をこめて一生懸命つくるからです。
  朝の光がいっぱいに差し込んだ店先では、
今日も一平さんが油まみれになって自転車をつくっています。
店のかたすみには、壊れた赤いサイクリング車がほこりをかぶっていました。
  賢一は、黒いがっちりとした自転車で中学校に通学しています。
学校帰りに一平さんの店をのぞくことが大好きです。
高校生になったら新しいスポーツ車を買ってもらえるからです。
「おぉ、賢一か。」
一平さんが手まねきしました。
「は、はーい。」
ガラガラ、
「サイクリング車が好きか?」
「うん。」
 一平さんのひたいには、深いしわが何本もあります、
しわには黒い油がしみ込んでいますが一平さんは、いっこうにかまいません。
もくもくと、一平さんは黒い大きな運搬車を作り続けています。


挿絵:長澤牛l

  一時間たちました、一平さんの真剣な目つきに賢一は何を話してよいのか分かりません。
たくみに動く一平さんの手つきをみていることもすっかり飽きてしまいました。
「帰るか!」
「うん。」
「また来いよ。」
「うん。」

 

 次の日から賢一は、学校帰りにはお店に通うようになりました。
今日は、まぶしい黄色のサイクリング車ができあがっています。
(だれが乗るんだろう、こんなかっこうのいい自転車で遠くへサイクリングがしたいなあ・・)
ガラガラ、 ガラス戸の向こうに自転車を引いた高校生が立っています。
「スタンドがこわれちゃったんで、直してください。」
「ほい。」
ちらりと入口を見た一平さんは、その高校生にスパナを渡しました。
高校生は、きょとんとしています。
「俺が直すとお金がいる、自分で直せ。」
「でも、おれ直したことないよ。」
「教えてやる、やってみろ。」
賢一には、一平さんが高校生にいじわるをしているようにみえました。
「そこのネジをしめるといいんだ。」
高校生は、いやいやスパナを使ってネジをしめつけると自転車のスタンドは、
すっかり直ってしまいました。
「なぁんだ、これでいいんだ。」
「どうもありがとうございました、勉強になりました。」


挿絵:長澤牛l

  今度は、子供を連れたお父さんがやってきました。
「パンクしちゃったんで、修理をお願いします。」
「おぉ、やっちゃったか。今日は、自分でやってみたらどうだ。」
高校生の時と同じことを一平さんは言いました。
「えぇ そんなことを言わずに直してくださいよ。」
(やっぱり、いじわるだなあ。)
  一平さんは、壁に掛かっているパンク修理道具を、無造作にお父さんへ渡しました。
お父さんは、むっとした顔で受け取りました。
(修理にやってきたのに。)
そんなお父さんにおかまいなしに、一平さんは言いました。
「まず、そのレバーでタイヤをはずすんだ。」
お父さんは言われるまま、しぶしぶ手を動かし始めました。
「いいぞ いいぞ」
一平さんは、楽しそうです。
「さあ次は、チューブに空気を入れるかな。」
シュ、シュ、シュ、シュ、 ポンプから勢いよく空気が入り、
ペチャンコになっていたチューブは、ぐんぐんふくらみ始めました。
「わぁ へびみたいだ。」
子供は、大喜びです。
シュー・・・ 太く大きくなったチューブから、いきおいよく空気がもれて音がしました。
「そこに穴があいとるでな。ヤスリをかけて、ゴムのりをつけてくっつけるんだ。」
お父さんの手は真っ黒になっています。 なんだかお父さんも楽しそうです。
チューブの穴は、直され元のタイヤの中におさまって、パンク修理は完了です。
「わぁお父さん、すごいすごい、直しちゃったね」
「やればできるさ。そうだよね、一平さん。」
 お父さんは、自慢そうにそう言うと、賢一の差し出したタオルで、
真っ黒くよごれた手をふきました。 賢一には、その手がたくましくみえました。
深いしわ顔の一平さんもにこにこ、 もっとしわが増えてとても満足そうです。
賢一は、一平さんのやさしさが分かったような気がしました。

 

 十日ほど過ぎた日のことでした。賢一が店にやって来たら、ゴリゴリ、と、
店のかたすみにおかれていたさびさびのサイクリング車を、一平さんが分解していました。
「おまえもやってみろ。」
鉄のブラシを一平さんから受け取るとガリガリ、さびとりのはじまりです。
「この自転車はまだまだ使えるのに、駅前に捨てられていたんだ。」
「直せば、立派なサイクリング車になるぞ」
「えぇ、このさびさびがまた走れるようになるの。」

 次の日も、また次の日も学校が終わると賢一は一平さんのお店に行きました。
そうして一か月が過ぎました、賢一はすっかり一平さんのお気に入りになりました。
 

 ある日のことです。 真っ赤にさびた自転車のパイプが、赤くきれいに塗装されていました。
一平さんが塗り変えたのです。
「今日から組み立てるぞ。」
いつもの、ぶっきらぼうな言葉です、でも賢一はかまいません。
(この自転車は、だれが乗るのだろう?)
少しずつ少しずつ、自転車の形になっていくことがうれしくてわくわくしてきます。
賢一の手は、油で真っ黒によごれていました。 車輪がつき、ハンドルも付きました。
「さあ、明日は完成だ。」
ゴー、ゴー、ゴー、 ペダルを回すといきおいよく車輪がまわりました。


 
その夜、賢一は、寝床に入ってからも、(あの自転車、だれが乗るのだろう?)と、
そんな思いが頭からはなれずなかなか寝つけませんでした。


挿絵:長澤牛l

  次の日、とうとう完成です。 サビサビの捨てられていた自転車は、
ピッカピカの真っ赤なサイクリング車に変身していました。
カチ、カチ、ガチャ、ガチャ、シャー、 変速機の調子もいいようです、
一平さんの点検が始まりました。
グイ、キキー、 ブレーキの調整をします。
「乗ってみろ。」
「ぼくが・・・?」

賢一は、自転車のサドルにまたがります。

「よし、降りろ。」

一平さんは、サドルを一センチ高くしました。
「これで賢一のサイクリング車が完成だ!よくがんばったな。」
「これを、ぼくに!?]
賢一は、びっくりしました。
「ほんと、ほんとーに。」
賢一には信じられませんでした。
高校生になればスポーツ車が買ってもらえる。
でもその前にこんなサイクリング車に乗ってみたかった。
そんな願いがありました。
うれしいうれしい、一平さんからのプレゼントでした。

 

  次の日曜日、十キロ先の灯台まで真っ赤な自転車でサイクリングに出かけました。
自転車は、春の光をいっぱいに浴びてキラキラ輝きながら風を切って進みます。
わくわくどきどき、けんめいにペダルを踏みつづける賢一は、
おなかの底から大声で「おぉい・・・」とさけびました。
  道の両側に続く菜の花が、風にゆれながら賢一を応援します。
灯台が小さく光って見えた時、横道から急に自動車がとびだしました。

「わぁ・・・」
キキー・・・
おもいっきり賢一は、ブレーキをかけましたが間に合いませんでした。
ガシャーン

賢一は、救急車で病院に運ばれ、自転車は一平さんの店に届けられました。

「賢一が・・・」
一平さんはむざんな形につぶされたサイクリング車をみつめたまま、声をつまらせました。
肩がこきざみにふるえ、油でよごれた顔を涙が流れ落ちました。

「休業」
 次の日、一平さんの店にはそんな札が下がりカーテンが引かれていました。
札は、いく日も下げられ、店の戸は、閉められていました。
赤いサイクリング車は、 こわれたまま店のすみにおかれていました。
店が開かれたのは、一週間ほど過ぎたころでした。
カチ、カチ、ガリ、ガリ、 仕事はしていても、一平さんの背中には、さみしさがただよっていました。

 退院した賢一がやって来たのは、春も過ぎ若葉のかおる初夏の日曜日でした。

「賢一・・・。」
ころがるようにして店先に出て来た一平さんは、賢一の手をにぎると顔をくしゃくしゃにしました。
「よかった、よかった、ほんとうによかったなあ。」
 まるで自分の子どものようのよろこぶ一平さんを見ると、賢一も胸が熱くなりました。


 また、賢一と一平さんのふたりの仕事が始まりました。
もういつもの一平さんでした。 ちょっとがんこで気むずかしいが、
賢一にとってはすばらしい自転車づくりのおじさんでした。